英語の勉強が続かなかった自分へ:前編【勉強を義務化してはいけない】
皆さんこんにちは、ねこぜです。
本日は「英語の勉強が続かなかった自分へ」というテーマで記事を書いていきます。
正直に申し上げますと、私はブログ上で自分語りをなるべく控えると決めています。
なぜなら、せっかく時間を割いて読んでくださっている方々に対して、自己満足の文章を見せてしまっては申し訳が立たないと考えているからです。
しかし、今回は自分語りの記事となっています。
ただ、現在何かしらの勉強をされている方や受験生の皆さんには参考になるかと思います。
反面教師的にこの記事を読んでいただけますと幸いです。
英語の勉強を始めたきっかけ
僕は、大学2年次より英語の勉強に本格的に取り組み始めました。
きっかけはオーストラリアへの短期留学です。
大学のプログラムを利用したオーストラリアへの短期留学に参加することが決定しており、さらには以下のような内容だと判明していました。
- 現地の家庭にホームステイ生活
- 留学先の大学では様々なアクティビティや交流体験あり
- 授業がない日は完全自由
- 課題が発生したら基本自己解決を
もうこんなの、英語を勉強しまくるしかないですよね。
異国の地で暮らすのですから。
結果、英語学習の熱は爆発的に高まりました。
この頃は英語の勉強を楽しくできていたと思います。
基本的には、大学で開講している英語の授業(統語論やニューヨーク・タイムズの読解)を中心に、参考書なども数冊買って勉強していました。
留学、Toiec、勉強する目的はいくらでもあった
勉強が続かない理由として、「目的を持っていない」というのが頻繁に挙げられます。
しかし、私には勉強をする目的がありました。
それは前述した通り留学であり、帰国後はToiecの受験でした。
Toiecに関しては990満点なので、満点を取るという目標を据えれば永遠に目的を持つことができます。
また、就活にも役立ちますよね。
では、なぜ勉強が続かなかったのでしょうか?
なぜ、勉強が続かなかったのか?
結論、以下の2つが理由として挙げられると考えています。
- 勉強を義務化してしまった(大学生の勉強は義務教育ではない)
- 義務化した勉強は単純に楽しくなかった
順に解説していきます。
勉強を義務化してしまった(大学生の勉強は義務教育ではない)
まず、私自身の中で英語の勉強を義務化してしまいました。
つまり、以下の図式が頭の中に染みついてしまったのです。
- 英語の勉強=必ず行わなければいけない義務
このような考えを持った背景には、世間の異常な英語学習の喧伝にあります。
大学でもネット・メディアでも、就活でも、周囲の大人たちも皆「これからの社会で活躍するには英語ができなければならない」と喧伝してきます。
私はまだ社会人ではないので分かりませんが、もしかするとこれは事実なのかもしれません。
ただ、1つ重要なことがあります。
それは大学生の勉強は義務教育ではない、ということです。
義務教育段階は小、中学校で終了しており(高校は違います)、大学生は何を勉強するのか自分で選択」することができるのです。
私は上記のことを完全に忘れていたのです。
Toiecの受験期になると、本来優先すべきの大学の授業中でさえ、金フレ(Toiec受験者のバイブルみたいな単語帳)を開いたり、予想問題を解いたりしていました。
振り返ると、英語の勉強を義務化したことは私自身の視野を狭めていたのですね。
義務化した勉強は楽しくなかった
そして何より、義務化した英語の勉強は楽しくありませんでした。
統語論(言語学)など英語に関する授業を受けていたとき、英語を勉強することが本当に楽しかったです。
しかし、留学から帰ってToiecの勉強に切り替わってからは、勉強というより作業のほうが言葉としてふさわしい状態になっていたのかもしれません。
結果、Toiecは1回受験しましたが、2回目は受験料を支払ったのにも関わらず受験しに行きませんでした。
そして、運良くも1回目でそこそこ良い点数を取った私は、そこから現在に至るまで英語の学習を中断しています。
英語の学習が続かなかった自分へ(後編に続く)
本日の内容を簡単にまとめてみます。
- 英語の勉強が続かなかったのはなぜか?
- 理由1)英語の勉強を義務化していた。
- 理由2)義務化した勉強は単純に楽しくなかった。
- 重要なこと:大学生の勉強は義務教育ではない。
いかがでしたでしょうか?
次回の記事は「英語の勉強が続かなかった自分へ:後編」です。
私の英語学習の今後について述べさせていただきます。
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それではまた!!